[夢」(1996

 高校の先生だった父の従兄弟が、退職する時最後に勤めた学校の庭に建てたいから

何かつくつてくれとの依頼だった。

夢や希望にあふれたものがいいと言うので、タイトルはそのまま「夢」。

「宙へ」同様足元には地球を作ったブロンズ像である。

もう子供達も大きくなっていたので、そう簡単には脱いでくれなかったような気がするが、

あまり覚えてないのだから多分そうだったのだろうと思う。

いろんな人のご縁で色んな仕事を頂き、作ることが出来るのは本当にありがたいことだとこの頃特に思う。

感謝するばかりである。

実は、今の子の私があるのはさかのぼれば、この父の従兄弟がいたからと言っても過言ではないのだ。

高校受験の時、めざしていたのは多くの同級生が電車通学をする宇都宮方面だった。

ところが真岡女子高校の先生だったこの父の従兄弟の遠井先生が「真岡へ来い」と

両親にまで熱心に勧めてくれた縁で行ったのだった。

それまで真岡方面へ行く生徒はほとんどいなかったが、その時から毎年受験者が増え

私の妹は
2人とも同じく真岡女子高卒である。

入学した私は部活に美術クラブを選んだ。このクラブでの学校生活が藝大へつながる大きな要因だったのだ。

もしこのクラブに入っていなかったらその後の私もなかったろうと思う。

この美術クラブの顧問の先生は沼尾先生と言って、すでにこの高校ではもう何年も勤めているベテラン先生だった。

スポーツも文化も部活の盛んな高校で、遠井先生率いるバドミントン部などは毎年のように国体でしたりしていた。

部活の生徒みな遅くまで練習に励んでいたから美術クラブも夜
7時とかまで残って描いていた。

一諸に残っていてくれた先生のお陰で出来たことである。真岡女子高にはとにかく何事も熱心な先生たちがあふれていた。

私が今日あるのは、あの高校三年間毎日デッサンに明け暮れた日々のお陰だろうと思う。

それを可能にしてくれたのが顧問の沼尾先生だった。

そして真岡に来いと言ってくれた遠井先生のお陰である。後年、小山城南高校へ移ってそこで退職を迎えられたから、

この「夢」は私の母校にはないが、高校時代の夢がいっぱい詰まっている。

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